根岸競馬場にて死す

しがない競馬オタクでやんす

「瞬発力勝負」という言葉を使いたくない

 本業はエンジニアなので色々な設計書を書いたりレビューしたり読みながらプログラム書いたり、あるいは他のエンジニアと相談しながら仕事をしている。

 その時に大事なのは、共通で使う言葉の定義をちゃんとしておくこと。例えば、「〇〇というファイルを取り除く」という言葉にしたって、こちらは「あぁ、ファイルを削除すれば良いんだな」と思うのに対し、依頼してきた側は「プログラムの動作に影響がないようにファイルを別の場所に保管しておく」ぐらいの意味で言ってきたのかもしれない。

 このような認識の齟齬があるまま仕事を勧めていくと大事故につながる。あのファイルってどうしたの? あ、言われた通り消しときました。 は!? 俺そんな事一言も言ってないんだけど! え、確かにそう聞きましたけど...... はぁ...(クソデカため息) 辞めたら? この仕事。 いやいや、あんたが辞めてくださいよ。

 結構大雑把な性格の自分でも、エンジニアの仕事をしていくと上記の認識違いによる事故に多数遭遇し、言葉については嫌でも気をつけるようになってしまった。私生活でも、例えばニュースを見てても、「この言葉、ちゃんと定義されてないからみんながみんな違うイメージを念頭に置いて喋ってんな......」「この定義だったらもうちょっと違う言葉を当てはめたほうが良いのでは......?」と気になってしまうことが結構多い。

 それは競馬にも当てはまる。色々あるのだけど、今回は「瞬発力勝負」という言葉について取り上げてみたい。

 という訳でヴェラアズールが勝ったジャパンカップなんだけれども、展開としてはユニコーンライオンが1000m通過1分1秒という、馬場を考えるとかなりのスローペースで馬群を率いての「瞬発力勝負」となった。シャフリヤールがダービー馬の意地を見せようとしたところを、ヴェラアズールの父親譲りの豪脚とライアン・ムーアの神騎乗が噛み合い、一気にクラシックディスタンスの覇者となった。

 レース内容に全く不満はないのだが、このようなレースを「上がり34秒2の瞬発力勝負」と表現することに、昔から強い違和感を感じている。瞬発力とは「瞬間的に作動する筋肉の力。瞬間的に発揮できる手足のばねの力。(デジタル大辞泉より)」。34秒とは「瞬間」なのか?

 確かに、「瞬発力勝負」と表現することが全く適切なレースも存在する。具体的には2010年、エイシンフラッシュが勝った日本ダービーが挙げられるだろうか。

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 1000m通過61.6というスローな流れも目を引くが、最も注目すべきはラスト4F→3Fでのラップタイムの落差。12.4秒から11.3秒と、1秒以上も縮まる急激なペースアップになっている。その後更に加速し10.8秒、ラストは少し落としたがそれでも11.3秒という猛烈なスピードのままエイシンフラッシュがゴール板を駆け抜けている。

 このレースで勝敗を分けたのは何だったのか? 最も大きかったのは、この急激な加速を行うことの出来る瞬発力だろう。

 馬は体重が500kgもある大きな個体だ。その大きな個体が加速しようとすると、人間が加速するよりもより多くのエネルギー、多くの時間を必要とする。しかし、このエネルギーを全身に素早く供給することの出来る馬は、トップスピードに入るまでの時間を他の馬よりも短縮することが出来る。つまり、他馬を出し抜くことが出来る。

 ラストまでラップが落ちない展開だったことから考えても、この加速においての「出し抜け」というのは勝敗に大きく影響する。当然、到達できるトップスピードそのものの速さも考慮に入れる必要はあるが、レース結果から考えても、エイシンフラッシュが緩やかなペースから素早くトップスピードにまでギアを上げることの出来る瞬発力に優れた馬であり、このダービーではそれが勝敗を分けたということは言うことが出来ると思う。

 翻って、今回のジャパンカップのタイムはというと、

 エイシンフラッシュのダービーと比較してすぐ分かるのは、グラフが非常になだらかということ。13秒台に緩む地点も無ければ、スパート地点も滑らかすぎて、どこからスパートを掛けたのか一見して分からない。急激なギアチェンジなど求められていない。

 果たしてこのレースでは、エイシンフラッシュのような瞬発力を求められたのだろうか? 求められたのは、ラスト4Fから長く良い脚を使うことの出来る、いわゆる持続力というものではないだろうか?

 僕が「瞬発力」という言葉を使うことに強い違和感を覚える理由はここにある。スローペースであれば、ジワっと加速して持続力を求められる展開も、一瞬でトップギアに入れる瞬発力を求められる展開も、あるいは仕掛けが遅すぎて位置取りだけで全てが決まってしまう展開も、全て「瞬発力勝負」という言葉で片付けられてしまう

 スローペースだからといって、全部瞬発力勝負とは限らない。レース内容は千差万別なのに、「瞬発力勝負」という言葉が安易に使われることによって、全て同じ箱の中に入れられてしまう。この現状は、次の予想をするために回顧をするにおいても、スポーツとしての競馬を表現するにあたっても、非常にもったいないことだと思う。レースを振り返り、人に伝える語彙力を欠落させているのだから。

 最初に書いた通り、34秒というタイムを取り上げて「瞬発」力勝負という言葉を使うのは正しくないと思うし、「瞬発力勝負」として取り上げられているレースも、中身をよく見ると全然そんな事ないことも多い。人とコミュニケーションを取る上でもイメージのギャップが生まれるし、予想を考える上でも、競馬における「瞬発力」という言葉と実際の馬の動きはかけ離れている。はっきり言って、この言葉には害しか無いし、自分は使いたくないし、出来れば人にも使ってほしくない。いわんや新聞社をや。

 使うのならばエイシンフラッシュのダービーのようなレースなのだけど、もう「瞬発力」という言葉の意味が競馬においては非常に曖昧になってしまい言葉としての用に与さなくなってしまっているので、僕は「ギアチェンジ勝負」と言っていきたい。こちらの方が「瞬発力勝負」よりもより正確で、ピンポイントで、イメージが湧きやすい。みなさんもどうぞ使ってください。